イコリ岬の懐にある礼文華

い〜こり〜みさ〜きの〜ふところに〜〜 ふーんふ ふんふんふーんふふん・・・♪

はっ(゚∀゚)!!

思わず礼文華中学校の校歌を歌ってしまった・・・

ソッコーで歌詞わかんなくなったけどね!(・∀・)

今日もこんにちは!

あっこです\(^^)/

前回、礼文華の名前の由来的なことと茨城県の特産品について投稿しましたが、

今日はその繋がりで少し書きたくなったことを書こうと思います☆

礼文華の地名にも深く関わりのあるイコリ岬。

の反対側に

札幌方面から礼文華に向かってくる時に通る海岸沿いの道があります。

美の岬という岩礁と断崖の間の狭いその道をすり抜けるように車を走らせ、

(こちら、道に慣れたらめちゃくちゃ絶景ポイントですが、初めて来る人は恐怖に慄く絶賛ヒヤヒヤポイントとなっております。)

そこを抜けると急に視界が開けてようやく礼文華市街に入ります。

そんなわけで、礼文華は 前後?左右?東西?なんていうの?

とにかく断崖に囲まれた集落でもあり

また、山方面から来ようとすると、昔むかしは

蝦夷地三大難所礼文華山道を超えてたどり着く場所でした。

礼文華山道・・・

その昔、

伊能忠敬(日本中歩き回って地図作ったすごい人)

松浦武四郎(北海道の名付け親。松潤。)

イザベラ・バード(イギリスの女性探検家。日本について本書いてる。礼文華もほんのちょっとだけ載ってる)

なんかも通って ヒィヒィ言ったとか言わなかったとかの険しい山道です。

いや、言っただろうな。きっと。(・∀・)

現在は少し整備された状態で、歩くことができるコースになっています!

これはあくまでもワタクシあっこの予測ですが、

道路が整備されていない時代

アイヌの方々がバリバリアイヌとして(←!?)暮らしていた時には

おそらく、礼文華はわりと孤立した集落だったのではないかな〜と思っています。

(勝手な妄想だけどね!)

だって海からも山からも人が入りづらくない??この環境。(・∀・)我ながら軽い。そして単純すぎる推理。

で、今回は何について書きたかったの?と聞かれたら

うん、

そろそろ

自分でもよくわからなくなってきた(`・ω´)!!

と、正直に誠実に正々堂々と言うことにしよう。

そして光の速さでこの場を去るのだ。

おわり。

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